地域・歴史・史跡特集
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「伊吹山に纏わる歴史について」一つ紹介します。
その昔、織田信長がポルトガル宣教師を通じて、薬草を三千種取り寄せたそうな。
それを伊吹山で栽培始めた事が薬草の山で知られるようになっていった。
栽培目的は薬草以外に、鉄砲の火薬の原料となる事、それが大きな狙いでもあったらしい。
また、古来より、神の棲む山と云われ、山岳宗教修業の場となっている。
更にその昔、日本武尊が、荒れ狂う神を退治に、伊吹山に出向いたと云う神話がある。
日本武尊、最後の戦いである。
何故かその時、いつも振り翳していた武器、神の宿る剣を、妃に預けて持って行かなかったそうな。
素手での戦いであったために敗退した。
相手は、神の化身と化した白い大きな猪とも大蛇であったとも伝えられている。
日本武尊は大怪我を患い、伊吹山から退散・・・
何とか、逃げ延び、向かうは大和の国。
しかし、その怪我では歩く事もまともにままならず。
力尽きて、死んでしまったそうな・・・。
亡くなる前に、足の傷を癒しに休憩した場所がある。
そこで言った言葉で「この足三重まかりなりけり」とあるらしいが、この言葉の三重が地名となり、県名と
なったと由来がある。
諸説は様々あるらしいが、伊吹山周辺には、他にも歴史や伝説が眠っています。
なるほどな〜^^ |
日本武尊像(やまとたけるのみこと)
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日本武尊どんな姿していたかと云えばこんな人だったようです。
日本武尊像は至る所に在るのですけど、格好よく造っているものもあれば、この様にどちらかと云えば、天
皇と云うよか、仙人ってイメージしますね 笑
此方のが愛嬌あって好きなんですけどな^^;
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日本武尊(やまとたけるのみこと)決戦場(予想される場所)
揖斐川水系牧田川支流藤川谷(伊吹山南側麓)
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琵琶湖水系姉川支流板名古川(伊吹山北側麓)
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日本武尊、振り仮名振らんと読めない人多いと思います。
にっぽんぶそんとか読む人も見えるかも知れません 笑
冗談は、さておいて勉強です。
日本武尊は、委武天皇であったと云われています。
天皇自らが甲冑纏い、乱世に立ち向かったとされる。
最後に戦った相手、荒れ狂う神と云うのは、あくまでも神話での話、戦ったのは、近江で覇をとなえるもの
を成敗に向かったとの話もある。
最終決戦場、ま〜のちに死んでしまったから最終決戦場となったのだが、其れで知られる伊吹山周辺、其れ
も我がフィールドとして釣りをしていた事もある藤川谷で戦ったのではないかと云う人のHPを見た事があり
ました。
私も此処は候補の一つと想定します。
そして、私が想定するもう一つが、伊吹山南側に位置する板名古川沿いの此の地・・・
わざわざ伊吹山へ登って戦ったとは思えないので、伊吹山麓を流れる此の川沿いは、開けてて、決戦の場と
しては相応しく見えますが、、
更にもう一か所は、岐阜県側になるが、国家君ヶ代の発祥地とされる春日村のさざれ石公園あたり、伊吹山
登山道入り口付近も考えられると思いますね。
伝説、それも神話ですので、実際に戦ったのかどうかも分りません。
戦ったのは、猪、大蛇の化身と云われてるのが、伊吹山の熊に襲われただけかも知れません 笑
しかし、日本武尊は天皇で、実際にいた委武天皇の事であったとは記禄にあるそうです。
そう、あくまでも神話、でも本当、何故か浪漫を感じ、想像掻き立てられるものってありますよな^^;
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